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母校は遠きにありて想うもの 〜 大分県立芸術短期大学付属緑ヶ丘高校

「帰属意識」という言葉があります。


ある集団に自分が属しているという、またはその集団の一員であるという意識のことですが、

やはりこれは、一人では決して生きていくことのできない人間にとってきわめて自然で基本的な心情だと思います。



それは家庭及び会社や市町村、大きくは国家などに自分が属しているという意識ですが、TVのバラエティ番組にもなっている『カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW』が人気のように、私たちの生活にも結構強い影響を与えているのだと思います。


母なる場所としての学校

母校」という言葉も、やはり帰属意識から生まれた言葉でしょう。


社会という荒波に出る前に、集団生活を通じて社会というものを経験するとともに知恵や知識を蓄え、身体を成長させていく幼稚園から大学等までの学校生活も、固有の場所と時間経過、人間体験等から

人の成長に強い影響を与えるものであり、自分を産み育ててくれたのだという意味から「母」の文字が

加えられたのでしょう。


その中でも中学校から高校時代は多感な時期であり、私の場合、出身中学校と高等学校がまさに母校の名にふさわしい存在です。


ところが、現在ではこの2校ともに移転し以前の場所にありません。

中学校はやや離れた場所に、高等学校は隣の町に移転しています。


写真は、唯一同地にある高原小学校と残存している高原中学校の前体育館ですが、自分が学び遊んでいた場所がないという事実は結構寂しいものです。


青春があるとすれば

私は、宮崎県出身ですが高校は大分へ進学しました。

専門音楽課程ある「大分県立芸術短期大学付属緑ヶ丘高等学校音楽科」へ入学したのです。


親元を離れての下宿生活、知らない土地と初めての環境などから最初は不安でしたが、次第に慣れ高校生活3年間は今でも思い出深い期間となりました。

青春という季節があったとすれば、まさにこの頃だったでしょう。


なのに

母校がないのです。


写真は、大分県別府市野口原付近、別府公園を登ったあたりです。

ここに「大分県立芸術短期大学」と「付属緑ヶ丘高校」はありました。

 

しかし学校は1980年(昭和55年)に大分市に移転

現在、跡地には「別府国際コンベンションセンター(B-Con Plaza)」と「別府市男女共同参画センター」が建てられています。

 

ちなみに「緑ヶ丘高校」出身の著名人としては以下の方々がいらっしゃいます。

 

立川清登(バリトン歌手)

河村英文(元西鉄ライオンズ投手、1952年卒)

稲尾和久(元西鉄ライオンズ投手、1956年卒)

大塚博堂(シンガーソングライター、1963年卒)

錦野旦(歌手)

沖雅也(俳優、上京の為、中退)

佐藤美枝子(ソプラノ歌手)

惣領冬実(漫画家、1977年卒)

福田素子(漫画家、1980年卒)

リリー・フランキー(イラストレーター・エッセイスト、1982年卒)

佐々木敦子 (イラストレーター、1982年卒)

吉祥じゅん(劇団主宰、1983年卒)

池永康晟(日本画家、1984年卒)

サクラヤスユキ(アーティスト、1987年卒)

各務沙羅(モデル、2000年卒)

 

以上、Wikipediaによる。

 

私が在学中に

故 立川清登さんが来校されたことは記憶に強く残っています。

 

また、「スター」こと錦野旦(にしきのあきら)さんが来られて、高校時代所属していた体操部の力が衰えていないことを示す鉄棒の演技をしてくださったことも楽しい思い出でした。

 

なお錦野さんや稲尾監督等は、併設されていた普通科のご出身です。


母校は心の故郷で良い

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの


よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや


ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ


そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや


[小景異情ーその二] より


明治の詩人・小説家『室生犀星』のやや感傷的なこの詩は、日本人の心情に合うのか、私には素直に心に響きます。


私の「母校」には形がありません。

しかし、犀星の言う『ふるさと』であることに変わりはないのです。


母校は私にとって

まさに「遠きにありて想うもの」です。


2012年初夏

別府市のビーコンプラザでコンサートを行った私は「青春」をテーマにした曲を作曲、演奏しました。


それが『A New Arrival 〜新しき人へ』です。

青春の匂いがすると良いのですが・・・。