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光と影(2) 〜 交響組曲「高千穂」 Ⅲ 神住む湖から

光と影について

前回は、美術や音楽などの芸術が実は「光」を「創造の源」としているのではないか、ということについてお話しさせて頂きました。

 

さて今回は視点をやや変えて、「実際の音楽の中では、どの様にして光や影が描かれているのだろうか?」ということについて具体的に見てみたいと思います。

申し上げたいことはたくさんあるのですが、今回は最も基本的な「長調と短調」についてです。

 


長調と短調

長調(Major,Dur)及び短調(Minor,Moll)は音楽で使用する「音階」のことで、通常七つの音で構成されています。

その起源は、西洋音楽の源と言われるグレゴリア聖歌で使われた「教会旋法」にまでさかのぼります。

 

グレゴリア聖歌では10種類以上もの教会旋法(音階のようなもの)が使われていました。

その後、西洋音楽の発展とともに使用される旋法は限定化されて行き、現在ではイオリア旋法(現在の長調)とエオリア旋法(短調)が中心に使用されるようになっています。

なお、他の旋法は消滅したかというとそうではなく、ただ使用される頻度が少なくなったということです。

 

さて、この二つの音階は明確に異なった性格を持っています。

 

長調 : 明るく平穏な響き

短調 : 暗く不安定な響き

 

いや、そうではない。

とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

音楽は抽象物なので、基本的にその聴取は主観的になります。

ですので、それはそれで良いと思いますが、やはりマイノリティーな感じ方かもしれません。

 

長調は光、短調は影 ?

では実際の音楽作品の中で、長調は「光」を描くために、短調は「影」を表現するために使用されているのでしょうか。

概ねそのように言って良いと思いますが、音楽にはそう単純に割り切れないところがあります。

そこが音楽の面白さや魅力、深さだと思うのです。


もちろんそのような曲もあります。

例えば童謡や単純な和声を伴った曲では、長調を明るさやポジティブなメッセージを伝えるために、短調を悲しさなどを伝えるためにのみ使用しています。


しかし、その対極の一例がモーツァルトが晩年に書いた作品群です。

例えばクラリネット五重奏曲イ長調K581の第2楽章を聴いてみていただきたいのですが、長調なのに悲しみや慈しみに溢れている音楽がそこにあります。


また私見ですが、短調は長調に比較して、とても表現の幅が広い音階だと思います。

実は私は、喜びも含めて人間の持っている感情のほとんどが短調で表現できるのではないかと考えています。(もちろん表現する才能と技術があればの話ですが・・・)


「神住む湖」を例に

では次に、一つの楽曲の中で長調と短調がどのように使い分けられているかという例をご覧いただきたいと思います。


題材は拙作で恐縮ですが、交響組曲「高千穂」の第3曲 ”神住む湖”です。


まず、楽曲解説になります。



 題名の「高千穂」は九州南部、日向と薩摩(現在の宮崎県と鹿児島県)の境に位置する「高千穂の峰」のことで霧島山系一の霊峰であり天孫降臨(てんそんこうりん)伝説のの舞台として知られています。


日本最古の歴史書である「古事記」によりますと、天孫降臨伝説とは、おおよそ次のようなお話です。


アマテラスオオミカミが、孫のニニギノミコトへ神の世界から地上へ降りて国を治めるよう言います。ニニギノミコトは、地上に降り立つ場所を示す鉾(ほこ)を高千穂の峰に打ち立てます。

それが、現在も山頂に残っている「天の逆鉾」であると言われています。


そのようにして、ニニギノミコトによる国造りが開始されます。

時が経ち、ニニギノミコトの子孫のカムヤマトイワレビコが、東方に王都としてふさわしい土地があると知り、奈良盆地へ攻め入り大和の国をつくりました。

これを、神武東征(じんむとうせい)伝説と言い、交響組曲第一曲目の題材となっています。

このカムヤマトイワレビコが初代天皇として即位し、大和朝廷の開祖になったと言われています。

いわゆる神武天皇です。

この作品は、霧島山系の豊かに広がる大自然とそこにまつわる神話をもとに、4つの曲からなる組曲として、2010年に作曲されました。


第三曲にあたる<神住む湖>は、高千穂の峰の山ろくにある霧島山系最大の火口湖「御池(みいけ)」の一日を題材とした作品です。

伝説では七つの港があったとされ、そのうちの皇子港では幼少の神武天皇が水辺で遊んだと伝えられています。


曲はまず、朝もや煙る湖面の神秘的な静寂をあらわす鍵盤楽器の音形の上に、甲高く響く鳥の声がピッコロであらわれます。

イングリッシュホルンの奏でる物悲しい主題が、中低音楽器、高音木管楽器などで繰り返され次第に高揚していくと、嵐の主題が現れます。

荒れ狂う風、強風にあえぐ波頭・・・。しかし、しだいに雨雲は去り、湖は日の光に満たされます。

嵐の主題に基づく喜びの歌が輝かしく鳴り響き、やがて穏やかな日差しの中で湖はいつもの静寂を取り戻し、夕闇に包まれていきます。


前半部分

前奏に続きEnglish hornが奏する第1主題が、oboeや木管楽器、中低音楽器によるユニゾンなどにより3回繰り返されます。


やがて、短い経過部を経て出てくるのが下記の第2主題です。(YouTubeでは2'57"あたりです。)


曲目解説では、ここは嵐の情景となっていますが、もちろん心象風景としてのそれであって、そのように限定して聴かれる必要はありません。


後半部分

お分かりのように「神住む湖」の前半部分では短調のみを使用しています。

朝もやのかかる朝の湖面から、嵐に至る情景描写には、短調がふさわしいと考えたからです。


逆に後半部分には、長調を中心に使用しています。


下記は、光の主題です。(嵐の主題と同質のものでありながら、長調が全く異なるニュアンスを伝えていることがお分かりいただけると思います。)


嵐が過ぎ去り、雲間からは眩しい太陽が現れます。

しかし、夕焼けに染まりながら湖はゆっくりと暗闇に戻っていく。


たぶん私はここで、光が時間とともにその照度を落としていく様を描きたかったのだと思います。



音楽の中の翳り

今回の例では、長調と短調を使って、明確に光と影を描き分ける方法をお話ししました。

この使用法は一般的であり、他にも星の数ほど例があると思います。

 

しかし絵画を描く場合に、原色のみではなく他の色と混ぜ合わせたりグラデーションをかけたりといった手法が使われるのと同じように、作曲でも一種の「翳り」を入れて、楽曲をより印象付ける技術が使われています。

 

これについては、次の機会にさせて頂きたいと思います。


最後に、全曲の動画です。